1999年は焼肉三昧な日々と玉光堂

ノストラダムスの予言で巷は盛り上がる中、私は25歳になっていた。
私達の世代が夢中になったマンガ「北斗の拳」では「199X年地球は~」なんてフレーズから始まったりしてたので世間は結構な盛り上がりをしていたが、予言がどうとか、地球滅亡がどうとか、自分の中ではあんまり関心が無く、2000年になったら数えで27歳。残された時間は1年しかなくなってしまう。

残された時間・・・
それは、伝説を作って27歳で死ぬんだということへのタイムリミットが迫って来てるからだった。

当時ロックかぶれしてた自分は、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリスン、そしてそんな伝説をついこの間作ったカート・コバーンと27歳で無くなった伝説のミュージシャンがたくさんいて憧れていた。(27クラブ

自分もそんな風に伝説になってみたい!と大した努力もせずに漠然と思っていたものである。

冗談はさておき、1999年といえば、地域振興券なるものが子ども・老人に配られ、若者は「一番金が必要で使うのは我々世代だろ!」なんて悪態づき、『地域!振興拳!!』なんて言いながら飲み会で拳法を披露する始末。
携帯電話・PHSもほぼ普及して待ち合わせにはルーズになった気もする感じになり、厚底のブーツを履いた女子が目立ったり、犬型ロボットのアイボ、ファービー人形などの学習型玩具が人気になったりした。
世間では「だんご三兄弟」が泳げたい焼きくんの再来かとブームになり、いい大人がスナックで張り切って歌う滑稽な姿を目にしたのも懐かしい。
映画「アルマゲドン」で涙したかと思えば、「セブン」のエンディングで後味悪い思いをしたのも1999年だった。

そんな1999年に25歳になっていた私のまわりは至って平和で、私はことあるごとに「炭火焼肉 炭○」へ通う毎日だった。

エンパイアーこの頃はまだ学生時代からの友人達も北24条近隣に多く住んでいた。

美術系専門学校を卒業した私たちのたまり場は、クリーンニングの「エンパイアー」の裏にあった友人が住んでいたアパート。
そこを美術系専門学校を卒業した絵やデザインで将来を志す仲間達で「北24条のトキワ壮」と呼んで、いつものメンバーで集まっていた。

地下鉄駅が近いこともあって、他地域の人間も居座り寝泊りしていたのである。

LAWSON001お腹が空けば、北洋銀行の向かいのローソンへ行き、学生時代から通っていたので店員さんとも顔馴染みになっていた。

我々仲間内が買うタバコの銘柄を憶えててくれ「タバコはいーすか?」と準備してくれるニクイ店員で、我々は「札幌イチ気持ちのいいコンビニ」と呼んでいた。

しかしこの頃から姿を見なくなって、「あの素敵な店員さんはどこへ行ったのだろう・・・」なんて北24条のトキワ壮へ戻って話していた。

当時バイクや車は若者のステータスで、必死になって維持していたため連日の金欠。
しかし「お金が無くても居酒屋のあの雰囲気で飲まなきゃならない」と友人と「串鳥」「北炉」で冷奴お新香、コップ酒を飲んだ帰りに「酒のたなか」にて安い日本酒一升と、「スーパーまつだ」でキャベツを買ってトキワ壮へ戻って飲んでたなんてことも、今思い起こせば楽しい思い出。

50OFF_04そんな事をしばらく繰り返してしたが、ある日いつもの友人と「今日はみすばぼらしく飲んでないで焼肉でも行こうぜ!50%OFF」なんて道を歩いていた。

いつも焼肉と言えば50%OFFのとあるお店に行ってたので、この日も50%OFFを楽しもうと二人でお店へ向かっていました。

そしてふと通りの2階へ目をやると見たことの無い看板が。

炭火焼肉 炭○

盛り合わせイメージ「こんなお店あったか?行ってみるか!?」と入ったのが炭○との出会い。

店内で「いらっしゃいませー!」と元気に迎えてくれたのはあのローソンの店員さんだった!

なんと店長としてお店をオープンさせていたのでした。

それから私の炭○通いが始まって、1999年のこの頃は外で酒を飲むという時はほぼ焼肉三昧だった記憶があり、振り返ってみると私の青春は炭○だったんじゃないかと思うほど。

話しは変わってこの頃、北24条で嬉しい出来事は「玉光堂」が出来たこと。
上でも述べたように、音楽が好きだった私は玉光堂で相当CDを買った気がします。何せ街中まで足を運ばなくても楽に視聴できて買える場所が出来たんですから。

インターネットもようやく普及しはじめたが、今のように音楽をダウンロードしたり、動画でPVを見たりはまだ簡単には出来ない時代。

そして、「音楽はジャケットと一緒になってはじめて作品だ」「イヤホンでなんか聴けない!アンプを通したステレオで聴け!」なんて思ってた自分は気に入った音源は買わないと気が済まなかったので、手軽な近所に玉光堂が出来た時は小躍りしたものです。

閉店した時はかなりショックだった・・・

そんな1999年に25歳だった自分を振り返って、決して余裕ある暮らしをしていたわけじゃないが、バイクに車、音楽に酒・タバコ・・・とどうやってお金を捻出していたか分からない生活をしていた。

私たちみたいな浪費する若者はきっと経済に貢献していたんじゃないかと正当化してみる。
そして今も当時からのメンバーで集まれば、当時の話で盛り上がれるのも私にとっては財産だ。

若者達の遊び方や興味も時代とともに変わったのかもしれない。
しかしコミュニケーションの本質は変わっていないと思っている。
家に閉じこもってばかりいないで一歩外に出れば、北24条という街には私が25歳だったときのような人情的な部分は多く残っている。

是非とも若者達にも新たなコミュニケーションを北24条を舞台に繰り広げてほしい。

 

そして平和に27歳を簡単に通り過ぎた私は、伝説の目標を「やなせたかし」に変えて90過ぎまで頑張ろうと思ってます。